不思議宿苫屋1
お手紙を出す
僕は往復はがきに泊まりたい旨を簡潔に書いて送った。すると一週間たったのちに、気を付けて来られたしというお返事をいただいた。なんてアナログなやり取だとおもったが、手紙が返ってきたときちょっと嬉しかった。何か現代では味わえない何かである。
苫屋までの行き方
苫屋があるのは、岩手県野田村、岩手県の北のはずれである。
僕は当時神戸に住んでいた、如何にして安く東北に行くかそれが課題であった。東北へ直接アクセスするは飛行機が一番効率的であった。しかし、その時期はGWであり座席の取得は無理があった。べらぼうに高かった。そこで、高速バスを使うことにした。
関西発の高速バスで最も距離があるのではないかと思われる近鉄高速バス、大阪から仙台行に乗ることにした。
仙台から苫屋まではまだまだ距離がある。並みの田舎ではない。丸一日かけて三陸鉄道を乗り継ぎ、苫屋を目指したのだった。
仙台に朝ついたばかりだが仙台をスルー。バス到着から10分ほどで電車へ乗り換えでぐんぐん東北を目指した。ローカル線の旅を続けていた。
今は震災でボロボロになった三陸鉄道。今考えたら、南三陸鉄道から北三陸鉄を通しで乗れる経験はとても貴重な経験だった。地元の人でも自動車がメインの交通手段なので、三陸沖のローカル線を乗り継ぐ事はめったにないそうだ。
ちょうどGWということで特別列車にも乗れた。特別列車では物販がおこなわれていた。牡蠣のコロッケはごろんと大ぶりの牡蠣がみっつはど入っていた。
陸中野田につく
陸中野田は終点の久慈少し手前の駅。8時に仙台を出てローカル線を乗り継いで着いたのは16時ごろ。思えば遠くに来たものだ。しかしながらここからが問題
苫屋はこの沿岸部から山林に入って10kmほどの距離にある。日に2本ほどしかない町営バスを18時まで待たねばならない。
歩いて目指すことも考えたが、GWとはいえ東北はまだ春が来たばかりで寒い。しかも日が落ちかけたこの時間に山林に入るのは無謀だ。ましてや、苫屋は電話もない異世界のようなところである。独り東北の山林で遭難する自分の姿がよぎった。とてもじゃないけどそれはダメだ。
結局、夕暮れのローカル駅で2時間ほど僕は時間をつぶした。これも旅の味というものだが、何とも言えないさびしい気分になった。
町営バスに乗ったのはいいが、客は僕一人だった。周りは灯りはまったくなく、心細さ募るばかりだ。運転手とは一切会話していなかったが、何も言わなくても「苫屋さんはこの奥だ」と言って降ろしてくれた。おそらくこのバスに乗るような余所者は、苫屋の客しかありえないのだろう。
苫屋の夕食
周りは真っ暗で奥の茅葺民家からは人の声が聞こえる。灯りに呼び寄せられる蛾のように僕はその民家に入っていいった。
「よくきたね、ちょうど君の事をはなしていたんだよ」オーナーは満面の笑みで迎えてくれた。客はすでに囲炉裏のまえにいて夕食を待っていた。苫屋の醍醐味は知らない宿泊客と囲炉裏を囲んでご飯を食べることところにある。
なんとも火を見ると落ち着く。やや孤独だった心に温かく染み渡るようだ。
料理は全てこの辺りで採れたもの。スーパーで買ってきたものはなかった。山菜は上品な味で野生の滋味に満ちており、燻製のベーコンまで手作りである。囲炉裏で温められている郷土の汁物(名前は忘れた)は鳥肉が入っており、鳥はコリコリとして固い。スーパーの地鶏なんかではなく、天然に育てられた本当の鳥である。だから全く味が違う。同じ鶏とは思えなかった。それだけ普段食べている市販の鶏肉というのは、様々な機能飼料で調整された生き物だろう。オーナー曰く「ブロイラーの肉は私たちには薬臭すぎて食べれない」だそうだ。現代人はそんな匂いすら感じないし僕も感じたことがなかったが、この鶏肉を食べている言わんとしていることはよくわかった。