神戸のオシャレの本質

神戸を離れて生活すると、神戸から来たというと。おしゃれであることと地震の事を聞かれる。関西以外の人の認識で行ったことない人だとその二つのイメージが基本的な世間一般の神戸の見方である。
 しかし、行ったことない人にオシャレと言われてもどうもしっくりこない。神戸人からみて何処の都会にも行けばオシャレな人は会える。しかし、神戸のみが持ち得る”それ以上の何か”が感じられないのも確かである。
 今日は”それ以上の何か”について解説したい。


 神戸がオシャレの正体それは

ヨーロッパ感


この一言につきる。ヨーロッパの感性が街の隅、人の心に培われていること。簡単な事である。それが京都の”雅感”、大阪の”浪速感”という人が持ち得る情報のコア(人が自分のアイデンティティを制御するOSのような存在)に住みついているのだ。そのヨーロッパ感を保守的に守っているのが神戸である。京都や大阪にように誇るべき深い歴史がない神戸は、その開港当時の古ヨーロッパ感を大切にしている。
 ここでポイントなのはヨーロッパであるということ。同類の横浜はヨーロッパ感がそれほど強く持っていない。これは、地理的に東京の影響と米軍基地を近くに有するためである。なので、横浜はヨーロッパというより、アメリカ感をもっている。神戸は東京から離れているし、米軍基地もないため、いい意味でほっとかれていたため、古ヨーロッパ感をそのまま継承しているのだ。


 神戸の生活の基盤となるものはヨーロッパ人が開発したものだ。
白系ロシア人ゴンチャロフモロゾフなどで有名な製菓・パン
もともとはげ山だった六甲山に日本最古のゴルフ場を造ったイギリス人のアーサー・ヘスケス・グルーム。その後六甲山は植性豊かな山になり、近代登山発祥の地となる。


 神戸は1900年前後から戦前まで旧居留地に住んでた外国人が開発してきたものを大切にしている。居留地に住んでいた外国人というのは、昨今の出稼ぎ外国人労働者たちと全く異なり、この地で死ぬ覚悟があった外国人だと僕は思う。帰れぬ故郷を自分の街に作ったのだ。コロニアル(植民地)ということ、植民地に行く覚悟というのは、当時そういうものだったのだろう。ちなみに日本が台湾に残してきた様々な感性は今も台湾人に引き継がれている。

 本気で現地化しながら、己の故郷のいいところを伝えて、融合させて理想郷創ろうと試みた執念。長い時間、創り上げ、外国人・日本人という境じゃなく同じ街人として歩んできたもの。古ヨーロッパ人の望郷心が神戸人の心や神戸の街の遺伝子に少しだけ残っている。



その望郷心がヨーロッパ感であり神戸のおしゃれの正体なのです。