神戸人による神戸人の為の神戸観光

まず、自転車をご用意ください。
え、坂がきつい?何を軟弱な事を言っておる!自転車で坂を下る喜びがあってこそだ!まず『コクリコ坂から』を見てから出直してこい!!(コクリコ坂は横浜だけど、非常に似通った感性がこの街にあります。)

洋館を愛でよう

美しい館、旧グッゲンハイム邸
奈良や京都には、歴史的な寺社が身近に存在するように神戸には古い洋館が存在する。かつての貿易商や異人はこれぞというところに屋敷を構えた、故郷の望郷の念を拭い去るように丘に洋館を立てた。伝統的なコロニアル洋館が丘に立つ塩屋は、何処よりも静かで安らぎが得られる土地である。海外旅行から帰ってきてふとみる、そのすばらしい風景が、ああここにも宝があった。宝は身近にあった。そう思わす土地である。ガイドブックには載ってないこの街は、神戸人の密かな宝のようなもので、誰しもに見せびらかすものではない場所である。





移民の歴史を知ろう


http://www.kobe-center.jp/
誰も観光客が来ないミュージアムである。以外な事に、地元の野外国人がわざわざ訪れに来たりするミュージアム。ぼくはこのミュージアムが結構好きだ。かつての移民センター跡、洋裁学校、芸術集団CAPの拠点を経て今は海外移住と文化の交流センターになっている。


ミュージアムには訪問者は私以外、誰もいなかった。ボランティアの説明員のおばさんと私が一人である。おばさんは、丁寧に説明してくれた。『元町駅』は実は旧三宮駅で元町とは、神戸の中心が元にあった街であったり、どの突堤から移民船『ぶらじる丸』が出てたか細かに記録してある。収蔵物や文献は神戸人の土地勘があって理解できるものが多々あり、初心者には難しいだろう。いわば、タモリさんぐらいのレベルでないと坂と昔の土地を重ね合わせて楽しめないだろうということ。

坂の上から港を観よう、かつてこの坂を下って海外へ希望を託して旅だった。

自動で再生されるDVDの移民の記録は、こう語っていた。『日本の最後の記憶、それは六甲山が遠くへ消えていく瞬間だった。』移民は全てをかけて、南米に渡った。名作『ワイルド・ソウル』によると、旅だった移民の多くの過酷な現実に直面した現実を知ると涙が出てくる。

ワイルド・ソウル

ワイルド・ソウル


 そして展示は、神戸の移民受けれに関する内容になる。神戸の街は多くの移民を受け入れる。そして、移民との軋轢との試行錯誤の歴史となる。そういえば、僕の中学校にもいたヒエンだったかグエンだったか浅黒肌の同級生がいた。ベトナム戦争後、政治難民となったベトナム人を神戸は多く受け入れたのだった。

移民と外国人は異なる。移民はずっとこの街で暮らす、死ぬのもこの地だ。
待ったなしの街との真剣勝負の歴史がここに記録されていた。迫害を、軋轢との戦いにやがて光明が差す。かの大震災がこの地で発生して、移民も日本人もともに協力せざるを得ない状況が、互いの理解につながった。今や移民は神戸人となり、共にダイエー特売日へ行く仲間になった

 どの街でも中国人や韓国人はいるだろうし、コミュニティに関しての理解はあるだろう。しかし、神戸はそこから一歩先にある。国籍を問わずあの震災を互いに克服した、国籍を問わない一種の連帯感が神戸にはあると思う。様々なルーツを持つ人たちに対するホスピタリティがここにはある。

各国の宗教施設を巡ろう

僕は北野に住んでいた。この北野の街というのはよくよく考えるとすごい街で、あらゆる宗教施設がここにある。それを巡っってみるのが通の観光です。


まず当然、世界の2大メジャーキリスト教カトリック)とイスラム教は普通に同じ筋に存在する。

北野モスク。金曜日になるとイスラム教徒がたくさんお祈りを捧げにやってくる。モスクの前にあるナーンインはイスラム教徒に真のハラル飯を提供するお店である。イスラム教徒の為に金曜日のお昼はバイキングとなっています。


次にユダヤ教六芒星のマークが異彩を放つ
かのシンドラーのリストであったように大戦中に多くのユダヤ人が逃げてきて行きついたのが神戸。その歴史の跡が此処にある。もちろん現役、少数だけどユダヤ教は強い。
そして、ユダヤ人の為にユダヤ教があるなら、白系ロシア人の為にオーソドック(東方正教会)も存在する。



そして、ジャイナ教寺院もある。
そして中心にあるのは北野天満宮。日本の社も負けちゃいない。しかも、この北野天満宮、僕の記憶ではバリ舞踊をしてガルーダを呼んでいたような・・・
まぁバラエティは負けていません。


最後にキワモノ系としてサイババなんてのもあります。
http://www.sathyasai.or.jp/kobe/
サイババセンターが神戸にあるとは驚きです。