誕生日祝いの意味会いが理解できない

誕生日祝いって理解できなかった。
まず、自分の誕生日が年越しとほぼ同時に行われる為、自分の誕生日よりもニューイヤー祝いの方が大きい。
もちろん寂しいというより年齢と言うのは単なる定量的指標なわけだし、私はそんなに意味合いを昔から感じなかった。だから、最近年齢を忘れる事がある。まぁ20代後半だと思えば同じ。30になったら30と言えばいいぐらいだ。
だから去年の誕生日は上海で体調を崩して独りで寝てた。
その前は湖南省のゲストハウスで寒さに凍えながら独りで一日中布団で過ごした。
その前はなんかの忘年会だった。


今日、セブンイレブンで立ち読みしていたら、モーニングの「天才柳沢教授の生活」で柳沢教授がちょうど誕生日とはどういう日だと論議していた。(ネタバレあり)
ある教授が「ゼミ生徒が自分の誕生日パーティを祝おうとしているのだが意味が解らん」と言う。
柳沢教授もただ生まれた日だと言う事でプレゼント等を渡す意味合いは何処にあるのだろうと悩む。
実は実際私も同感だった。
生まれた日というただの指標に何のめでたさを見出すかが論点だ。
経験から物事を一つ一つを解釈しても、それは詭弁だと言った。


そこで


「どんなささいな経験でも意義ある知の第一歩であり偉大なものだ」
「60才の事は60才でしか経験が出来ず後にも先にも存在しりえない」


そこで論議を進めて最終的に


「誕生日を祝ってくれる人は、あなたの人生を好いてくれてくれるということではないですか


その言葉にその教授は「60にして誕生日が理解できた!」とした。
自分も本当に納得した。


ありがとう
ありがとう昨日、初めて誕生日プレゼントくれた皆さん
ありがとう昨日、初めて集まって祝ってくれた皆さん


もらったタンブラー大事にします。




でも、まだ私はキリスト教徒でもないのにクリスマスを祝う意味はまだ理解できていません。