僕が旅をはじめた理由

 僕が初めて海外旅行に行ったのはそれほど早くなく、もうじき大学を卒業する時期の4回生の冬であった。コンパなんて一度も無い地味な工業大学に通っていた。友達は多くなく、こだわりとかアイデンティティとかぼんやりしていて、個性や自己主張とかは強くなかった。当時僕は図書館でアルバイトをしていた。暇なバイトで、夕方から6時間ずっと図書館の受付で本を読んでいた。これはこれで幸せだった。本なんて一切読まなかった僕だが、図書館でアルバイトしだしてから、片っ端から本を読むようになった。そんな、女っ気のない地味な学生生活で、僕に声をかけてきた人物がいた。それが、図書館の責任者である、通称『書庫の王』である。この人物は定年間際のおっさんだが、目がギラギラした男であった。


 書庫の王と過ごした日々は、教授と過ごした日々より多かった。彼は私にいろいろ知識を叩き込んだ。バイトが終わった後に中華料理屋さんで食事をおごってもらいながらである。1年たった時、香港の友人に会いに行くついで僕をお供に連れていってくれた。これが初めての海外旅行であった。香港といって格安ツアーだが、僕は飛行機にのるのも初めてだったのだ。関空からキャセイパシフィック航空で香港に行った。
 時期は12月25日のクリスマス。香港は雨が降って寒かった。沖縄みたいなイメージでいったが間違いだった。ツアーであったが、自由時間に同世代の香港人のアパートに招かれ、話す機会があった。とても貴重な経験だった。そこで感じたのは、国は違えど、感性は共有できるという事であった。
そして、3日目の昼から自由に独りで歩いていいと書庫の王は僕にいった。僕は気になっていた赤柱(スタンレー湾)まで独りで行ってみた。初めてであったが、同じ都会の交通システム理解している人間なら感覚で、公共交通機関に乗れる。さして苦労はしなかった。2階建てバスに長いこと揺られて、香港島の裏側の赤柱湾までいってみた。香港でありながら、ヨーロッパの静かな港町っぽくて、とっても落ち着いた場所だった。色が日本と全く違うその世界に僕はどんどん惹きこまれていた。言葉には言い表せないが、何かしらワクワクを感じずにいられなかった。そして夕暮れ、僕は同じバスで独りホテルまで帰るのった。その時、車窓から夕暮れに照らされた坂道を見ていた。なんの変哲もない風景だ。香港島の山を越える坂道でフェラーリがバスを追い抜いて行った。その瞬間、燃えるような感情がとめどなく溢れてきたのだった。

僕はその時はっきりとなにか声らしいものが聞こえた。
『世界・・・これが世界だ・・・・』
あああ・・・


 僕は世界が無限に広く、そこにリアルな冒険があることを肌で感じたのだ。ドラクエのような、世界があり、ワクワクするものが僕をたくさん待っていることを直下的に感じ取ったのだ。まるで何かが開くような感触だった。いままで本を読んで感動したなんらかの感性が、現実の風景と科学反応をおこして、爆発的に僕の頭の中で増殖していったのだ。いままで、分散していた本の文章がすべて神経細胞のように繋がって、何か活動を始めてしまっているのだ。
 
 ホテルに帰ってくるとあまりにも遅い帰りに書庫の王は、とても心配していた。『自由を許したが、あとで考えたら、君に何かあったらご両親に合わせる顔がないとおもって怖くなってきた』と僕に言った。僕は、今日おこったことと冒険の成果を書庫の王に話した。書庫の王は笑って聞いてくれた。





その二年後、その時の海外の経験が忘れられず、独りであの鑑真号に乗って上海に行くこととなる。僕は何も知らないで、偉大な旅人が旅の扉を開るきっかけになってしまったと有名な、鑑真号に乗ってしまうことになるのだ。これで僕の人生はまっすぐ進まなくなってしまった。