中京圏の『お値打ち』と関西の『安い』は厳密に言うと意味が違う

僕は初め『お値打ち』と言う言葉を聞いてまったくピンとこなかった。

この中京圏で使用される『お値打ち価格』というの、『激安』、『格安』、『お買い得特価』と同意味だということだ。

 しかし最近、気が付いたんだが厳密に言うと『お値打ち』は関西圏で言う『安い』と微妙にニュアンスが異なることに気が付いた。





この航空券『お値打ち』ですよ10万円です。
この時期だと他と比べるとずいぶんお値打ちですよ。



この航空券10万で『高い』ですけどけど、
時期が時期だからしかたないね。


もちろん前者が中京圏で後者が関西である。10万という価格について述べているわけだが、『お値打ち』と言う言葉は、他と比べて相対的に安いという意味合いが強い、これは説得力が強い。一方、関西の安さの表現は、絶対値で考える傾向がある。

(※両者とも100%再現性があるわけはないので、あくまでも傾向として)

 つまり、他とくらべてではなく、個人の絶対価格感があって、特に商売気質の強い『大阪人』はみんな、この絶対価格感を持っている。なので、航空券の価格だけ看板に値段だけ書いて売っていたりする。たとえば『ソウル5000円〜』などがいい例だ
なので、モノを自慢する前に、値段を言う。モノの価値は値段のインパクトで決まるのだ。


なので「これみて〜やすかってんいくらやと思う?」


 モノを自慢するときまず、それが何がいいのかでなく、価格を自慢してしまう。大阪人の悪い癖だと思う。関西人全体でみるとここまで露骨ではない。神戸でも価格を他の店と比べて安いことは考えるが、激安、格安がセールで普通になってしまったので、個人の絶対値で考える。


 名古屋に話を戻すと、お値打ち価格はもちろん安いには相違ない。家電量販店で張られている中京の『お値打ち価格』と関西の『激安特価』に差はないだろう。しかし、個人間の会話において、若干そのニュアンスの違いから、認識に齟齬がでる可能性がある。


価格以外でも中京圏は『相対値』を重視する傾向がある。これは、前に言ったように説明に説得力がある。しかし弱点もある。絶対的価値を追求する製品を評価する力が弱いのだ。たとえば、一点ものや芸術性の高い商品。これらを評価するセンスに影響する。

 一方、絶対値にも問題がある。それはひとそれぞれ感性が異なるため、絶対値の感覚が共有できない事がある。阿吽の呼吸で理解できる人もいれば、ある人はそれは『高い』と言いある人は『安い』という。ここでこの二者は分かり合えない。それでしょうがないこと関西は考えたりするのです。



最後にまとめるとこの『安さ』の表現も中京と関西の文化背景の違いだなぁと思うわけです。