ラオス旅行記2「10時間バス」

zex2006-02-26

本日の移動
ウドムサイ→ポンサーリ







ウドムサイ 7:30

 ウドムサイは国道1号線・2号線・4号線が合わさるジャンクションの街である。ここから中国国境の磨憨(モーハン)は3時間で漢字表記が目立つ。


ルアンナムター ルアンパバーン 磨憨(モーハン)
 ムアンクア パークベン ポンサーリ
などのバスが既にスタンバイしている。移動は1日仕事な為ほ、とんどのバスが8時前後に出るようだった。

 バックパッカーや現地の人がたくさん集まり、朝のバスターミナルは活気があった。ポンサーリ行きのキップを買ってバスに向かう。バスの屋根には荷物がぎっしり詰まれる。屋根で作業するおっさんに「ポンサーリ?」と聞いて確認を取った。荷物を屋根にのっけるよ?とリアクションが来た為、バックパックを屋根まで投げて渡した。

(バスはミニバスタイプ。

ラオスではバスの出発1時間前行動は当たり前”

なぜなら、席の確保が天国と地獄を分けるからだ。
 席を早めにゲットする。場所は入り口近くが一番近くて、一人席がベスト。既に席の争奪戦が始まっていた為、負けじと参戦。有利な場所をキープすることに成功した。遅れてきた欧米人男女2人は席が無かった。英語でいろいろ交渉している、なかなか厳しい感じだ。女性の方に「that' too bad」と声をかけたら両手の平上にあげて(ほんとたまんないわよ!)というリアクションを返してくれた。どうにか一番後ろの席を確保できたみたいだが、「私たちは体が大きいから、もっとなんとかならない?」と再び交渉していたが、さすがにどうしようもなかった。ミニバスのシートは欧米人の体に合わない、どうやら小さいようだ、まだ1時間ぐらいならまだしも、8時間ではたまらない。(アジア人で良かった)と思った。

 噂通り、通路にも米袋やら大量の生活品などの荷物を入れて、パンパン人を満載してバスは出発した。バスは日本で一度廃車して、さらに中国で廃車したものをもらってきた感じだった。ドアは壊れたままで閉まらない、空きっぱなしである。


バス移動中 ウドムサイ→ポンサーリ 所要時間10時間(パンク修理2時間含む)



さらに途中で人が乗ってくる常識的に考えて(無理や!)と叫びたいほどに。しかも、これまた噂通り、子供は泣き叫ぶわ、少数民族のおばあちゃんは何の前触れ無しにゲロゲゲロと車酔いで吐くわで、阿鼻叫喚の地獄絵図。欧米人はもう呆れて放心状態


吐くんだった、食うなよ・・・・と思ったりする。


 隣のおばちゃんが竹の子をくれた。バスに乗っているといろいろもらう。しかし、食べる気がしない。道は未舗装になった。ガンガン・ドン・バンと言った感じでのろのろ進む、上り坂では10km/hも出ていない。景色もいいかげん飽きる、退屈も超える、苦痛も過ぎた。私も放心状態になる。


バス、パンクする。

でっかい音がして止まる。ただそれだけ。限界をはるかに超えた。積載量で未舗装の山道を永遠と走っているので(そりゃあパンクもするさ・・)と思う。
運転手と客はとりあえず降りる
ヤレヤレな感じ
集落の中だったので、バイク屋みたいなとこでパンク修理。修理の仕方は中のチューブ引っ張り出して、自転車のパンク修理キットと同じような物で直す。まったくやり方は自転車と一緒だ。



バス、パンクする。(2回目)


走り出して今度は明らかに、バン!プシューという音がした。今度は違うタイヤだった。もう言葉も出ない。周りは何も無いので今度はスペアタイヤと交換した。


次があったらもう終わりだな・・・・・・・





ぎりぎり日暮れと同時に着いた。

周りは何も無く、世界の果てに来た感じだった。
「やっと着いたね」と欧米人の女性と会話する。
彼女は言った。
「まったくterribleだったわと」
トゥクトゥクに乗って彼女ら欧米人とホテルを巡る。
「彼女はあなたどう思う?」といろいろ聞いてきたので意見を述べる
(気合で英会話)
ちゃんと納得してくれる
男性の方はもう疲れてどうでもいいってという感じ
値段と部屋を見ていろいろ交渉。とはいってもこの街には3・4つしかホテルが無い。
結果中心辺りのVIPHAPPHONEに決めた。

この部屋で一泊5ドル、ホットシャワー付き、トイレ現地スタイル