日系エクスプレスより

9月は中国の新学期。大学4年生の就職活動が始まる時期でもある。日系企業は一般に新卒を採ってゼロから育成するのを好む傾向が強いが、その手法が危機的状況に瀕している。膨大な費用と時間をかけて新卒を採用し、育てたものの、やっとモノになるかと思うと欧米系などに引き抜かれてしまう例が後を絶たない。その背景には「若手には我慢を強いて、長期的に帳尻を合わせる」という年功序列的な発想から抜けきれていないことがある。
▼新卒学生の「救世主」だが実力をつけても低報酬

  中国の人材マーケットは欧米諸国などと同様、基本的に新卒と中途の区別がない。企業が「必要な時に必要な人材を採用する」という市場があるだけである。だから新卒学生は既に業務経験を持つ即戦力の人材と同じ土俵で競争しなくてはならない。

  従って、学生でも即戦力になり得るIT(情報技術)関係などを除いて、中国の新卒就職環境は厳しい。特に文系の場合、外国語のレベルが高い人を除き、かなりの有名校卒であっても希望した職を得るのは容易ではない。

  そうした新卒学生たちの「救世主(駆け込み寺?)」となっているのが日系企業だ。もともと日本人は素直に言うことを聞く「白紙の人材」が好きなうえに、中国の新卒は潜在能力の割には賃金相場が低いから雇いやすい。自分自身を高く売ろうと強気の賃金交渉してくるような中途より、こっちの方がいいと思ってしまう。

  しかし、ここに大きな誤解がある。新卒の学生がおとなしく会社の言うことを聞き、低い賃金を受け入れるのは、自分にまだ市場価値がないことをよく知っているからだ。自分に価値をつけるには、どこかで技術や経験を学ばなければならない。そのために辞を低くして会社に入れてもらおうとしているのである。

  当然ながら、一定の年月を経て、市場で通用する価値を身につければ、それに見合った待遇を要求するようになる。これは至極当然のことだろう。それが相場というものだ。

▼中国の人材育成に奉仕しているようなもの

  ところが日本人にはこれが不愉快で仕方がない。社員の実力が高まったのは喜ばしいことであるはずなのに、それに見合った、思い切った処遇を提示しきれない企業が非常に多い。

  日本国内の人事制度は変化しつつあるとはいえ、まだまだ年功的な要素を多分に残している。特に海外で経営層にいる駐在員の多くは、過去の制度の下で長年かけて昇進してきた人々だ。「せっかく育ててやったのに」「ちょっと力がついたと思ったらいい気になりやがって」といった反応になりがちである。

  まあその気持ちも分からないではないが、「実力はアップしたのに待遇が追いついていない人々」というのは、競合他社にとっては、まさに格好のターゲットである。日系企業の間では「紳士協定」とやらで露骨な引き抜き合戦は自粛しているようだが、欧米系や中国の国有企業など、そんなことはお構いなしである。時には倍近い金額を提示して引き抜いていく。

  これでは日系企業はまるで中国の人材育成に奉仕しているようなものだ。学生や競合他社に感謝はされるかもしれないが、ビジネス的には何とも稚拙と言わざるを得ない。

  企業文化を刷り込むために新卒を重視するのは大いに結構だ。だが日本で「新卒生え抜き路線」が機能してきたのは、暗黙にせよ終身雇用が前提という社会的合意があったからである。その前提がない海外で「若いから」というだけで低い処遇にとどめておくのは無茶と言うしかない。

  人材にもマーケットがある以上、一種の商品である。相場より安く買うことはできない。この当たり前のことを日系企業は改めて深く認識する必要がある。