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15回目の旅の最後で解ることもある


ダラダラと書いたミャンマー旅行記も最後である。


バスに乗って結局ヤンゴンに着いたのは夜中の午前3時であった。『こんな夜中にヤンゴンで降ろされても困る』と言いたかったがどうしようもなかった。体も冷えてバス旅で体が痛いので適当なタクシーを捕まえてマッサージ店でも行こうかと思った。

あるのか?と聞くとタクシーはあるというので連れて行ってもらった。なんか怪しいピンク系の電飾が目立つ。アッチ系のマッサージか?腹を壊してちょっと元気がない僕は、そんなムフフなピンク系マッサージの気分ではなかった。しかし何処も行く気もないので、夜が明けるまでそこにいることにした。見た目は妖しいが幸い変なことはなかった。飲みつかれた若者がマッサージ受けながらグースカ寝てる店だった。


 日本に帰る飛行機は今日の夜なので今日は一日時間がある。夜が明けたのでりあえず空港に行って、何とかして荷物を預けられないか聞いてみた。隣の旅行会社のカウンターで預かってくれるとのことなので、カウンターが空くまで待った。あと1時間で空くそうだが、結局待つこと2時間待った。どうにか、空いた旅行社のカウンターで無理やり頼み込んで荷物を預けることに成功した。

といっても、今日の話はこれ以上ない。
なぜなら、ピンウールィンで美女が売っていたサトウキビジュースを飲んで強烈に腹を壊していた。もう二度とサトウキビジュースは飲むまいと心に固く誓った。定期的にトイレに行かなくてはならない始末。しかも少々熱っぽい。少し疲れが出たようだ。
 一日なにもする気力がなく、何とかボージョーアウンサンマーケットにも行ったが特に各地を旅行してきた僕には、目を惹くものはなかった。
 ヤンゴンの話など多分地球の歩き方や世間一般の紀行を観ればいいと思う。僕が書くべきことじゃない。
 
 ホテルストライドのロビー、トレーダーホテルのロビー(ちなみに最近テロで爆破されたらしい)など高級ホテルのロビーをはしごしてグッタリしていた。高級ホテルは外国人にとってシェルターみたいなものだから安心できる。ここに居れば絶対的な安全である。(テロで爆破されたらしかたないが、)
 ちなみにヤンゴンのホテルはお金に余裕がある日本人のリタイア層のツアーでごった返していた。たまたまお茶したテーブルが一緒だったのでご老人たちと世間話した。『あなたみたいな独りで海外歩く若者がいると安心だわぁー最近の若者は海外に出ないって心配しての』と言っていた。うちのばーちゃんと全く同じこと言っている。テレビや新聞に書いてあることそのまま信じている感のしゃべり口だ。
 どうやら彼らは僕の旅行資金の3倍ぐらい払ってきているようだ。しかし、ツアーの話を聞く限りでは魅力的に思えなかった、クソ暑い中、バスで寺ばかり巡っているようだ。これじゃ京都の修学旅行とあまり大差ない。



最後に

 僕はまだまだ復調せず空港のベンチで寝ていた。すると一緒の飛行機便で飛んできた洋介くんにあった。初日の夜、晩御飯一緒に食べた彼である。再開を祝して、空港の近くで食事に行った。といっても僕は腹を壊していたのでそれほど食べなかった。彼は初めての海外独り旅行がミャンマーというとんでもなく、思い切った事をした人物だった。初日マンダレーの夜でビビりまくっていて、もうずっとホテルで引きこもっていようかと言っていた彼が、見違えるようになっていた。それは、数日間のミャンマーの一人旅でいろんな事があったのだろう。そのかれの話や成長の話、生き生きとした様に僕は、昔の僕を見た。
 毎日仕事で日本の日常にどっぷり浸かった日々から、違う世界の日本とは違う本当の意味で”生きている人”に触れることで、彼は目が覚めたような興奮だった。


 彼と話していて僕が初めて上海に一人旅したときの事を思い出した。当時の僕は旅先で”ゆーすけ”出会って旅の興奮して話し合った。そして、今”よーすけくん”が当時の僕のような事を言っていた。

旅がその後の人生の方向性を少し変える瞬間である。


 旅の本質ってそういうものでしたね。そう最後に思い、思い返せばこのミャンマー旅行いい旅だったな思えてきた。なぜって?それは次の旅につながるきっかけがこの旅であったからだ。そう考えるとまだまだ旅はやめられないと思うのであった。無限に広がる世界の中で自分自身の道が少し見える時がある、それは微かな残りのような甘い香り、その香り辿って僕はまた旅に出るだろう。(エンディングテーマとして)