僕は唯一『旅』を信じている

僕にとって『旅』は唯一信じる宗教のようなものだ

何処に身を置こうと
どのような身分になろうと


僕は旅人であることをやめない。30歳を超えてこの点は、腹をくくれてきた。終身旅人宣言とでもいいましょうか。
たとえ日本の社会でマイノリティーであっても
迫害を受けたとしても

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、草の戸も住替る代ぞひなの家面八句を庵の柱に懸置。


そう心に決めた途端、この文章が心に湧いてきた。学生の頃暗記させられたが、忘れていたかと思っていいたが、全部スラスラ出てくるなんて。