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会話のキャッチボール

僕は実際、名古屋では会話を抑えている。というより、会話の仕方を変えている。
 人によって態度を変えているわけではないが、東京、名古屋、関西で会話の仕方を無意識に変えているのだ。意識してやっているわけではないが、そうなってしまっている。なので、各地域の友人たちから見える私のイメージは少し違うと思う。


 関西人相手の会話の特徴といえば、キャッチボールでいうと変化球や暴投でもきっちり拾ってくれるところである。まったく脈略のない会話でもみんな対応してくれるし、数倍面白く返してくれる。また、この会話のふりがボケであることを自然に感じてくれる。数人で会話すると、ボケという球をあげると、誰かがきっちりシュートしてゴールを決めてくれる。なので安心できる。話を少々大げさにすることは普通に許される。いわば『会話を盛る』という行為が許される。『盛り』すぎても、それをネタに会話ができる。なので、僕と誰か関西人が会話しているところを他の地域の住人が観ると、漫才師でもいるように思われる。関西人の一般人の会話がそういうものなのだ。しかし、独りでは成立しないのだ。


 東京・関東の会話といえば、マニアックな話題を振っても対応でき、それ以上のリターンが帰ってくる”ふり幅の大きさ”が魅力である。いわば情報の対応が広い。地域でマイナーと考えられた内容も東京だと立派なメジャーな内容だったりする。中途半端に『これ知ってる?』なんて球を投げようものなら、『今更何を言ってるんだ?実際のところは、こーなってあーなって、こうなんだ!』と剛速球2倍増しで返してくれる。それに、どーでもいいことは会話でさらりと無かったことにして流してくれる。これもいい。
 たとえば社会の先生が教科書どおり”シリコンバレー”について学校で解説しようとした。すると生徒が『その内容は間違っている』と主張した。なぜならその生徒は、シアトル生まれで先日、日本に来たばかりだったりするからである。
 なので、東京人との会話は、少々難しい球やメンドクサイ球でも”多摩センター”でも”たまプラーザ”でも安心してボンボン、会話の球を投げられる。


 問題はここ名古屋である。ボケのフリも平気でスルーされる。暴投したら怒られる。マニアックな返しは理解されない。いちいち解説しなくてはならず、それをし過ぎると『上から目線』という感じになる。ということで、おじさんみたいに『今日はいい天気ですね』『今日は暑いですね』ぐらいしか僕は喋れない。
 向こうも『へーすごいですね』ぐらいの切り替えししかないのでなんか、会話のバランスが悪くなる。さいきん考えすぎて疲れたので、まぁ適当にしてます。