街的に生きる

「あーら、今日はカメラ持ってないのね?」
「うーん調子こいてとりまくったら、お金がね」
「ア、ハハ」

 栄町の雑貨屋でちょっとした雑談、こんな何気なくカウンターにる気のいい店員さんが街を面白くするのだと僕は心から思う。商品ひとつ、一つが愛着のある。うちの父親世代にいわせれば、なんやこのガラクタ・・うちに捨てるほどあったでというだろう。『あったで』であって今は無い。何も買わないんだけど、とってもインスピレーションを与えられる品々ばかりである。シンプルで、別にITでもエレクトロニクスでもないモノは、無い機能を創造性で補うというすばらしい機能を持つ。店というより、店員さんの部屋に飾ってあるモノに名札がついているということです。それは、『買う』でなく『わけてもらう』といったほうが似合っている。


「昨日、ハンモックカフェでイベントがあって、ほっとんど寝ていないだ・・・」
「え!マジっすか?、ええなぁ いきたかったっすよ」
「DJが、音を回している横で、朝日のサンセットが拝めるというとっても贅沢なイベントだったよ」
「へぇーーーー惜しいことをした」
 栄町でおなじみ例の本屋さんでまた雑談。また買ってしまいそうな物欲を押さえしまう。この人の部屋は、私の知的欲求をくすぶるものばかり置いてある。


文具を買って、
HMVでSTUDIO APARTMENT買って
適当に生活必需品を買って
自転車で帰ろうするとすれ違いざまに
「あ、○○○ぁー」うれしそうに手振っているのは
「おうランランにケーコさん、これから何処へ」
「えへへ、本屋さんで勉強ですぅ」
「昨日は無事帰れたかい?」
「ええ、あまり寝てないですぅ」
ちょっとした立ち話



この街に拠点を移して3ヶ月になる。生まれ育った街といえども、かつて私は街に生きていなかった。街が僕の存在を認識し、いろんな事がつながっていく。これが街的な生き方である。世の中本当に情報は多い、しかし、自分を中心に情報を整理すると、その情報が自分の方向に向いている情報は少ない。なぜだか・・・。そんな時は、ココロザシが同じだろうと思う方々についている情報をわけてもらう。はっきり言って一番確実でイメージにちかい何かを知る事が出来る。なぜなら、自分の感性で探す探索力だが、独りで探すより二人のほうが探索力は2倍、同志が増える数だけネットワークの力は効果を発揮する。独りでインターネットを使って探すことは効率がいいように思えて実はそうでなかったりする。



『STRINGS OF MY LIFE』


housuの名曲みたいだね・・