理の外の民

「私は人に使われるのも、人を使うのも嫌。だから投資家になったの。」
その方はそう言った。


時間が豊富にあって豊かな生活。人が羨まないわけがない生活である。僕の友人にも数人このような方がいて、そういう人が言うには僕はそちら側の性質の人間らしい。

しかし、そうありたいかというと僕は投資家になれない。かれらのようにリスクを取ることはできそうな気がするし、旅行に長い時間費やせる生活が手に入るならば、今の職を犠牲にしてもよい。
が、しかし彼らには自分自身の表現する何かがないと感じた。投資家という仕事を心底が自分自信を本当に好きでやっているとは思えなかった。なので、他者との関わりと距離感がおかしい。不思議いや、不自然な感じがする。

 もちろん僕は、自分自身の表現ツールを仕事にすべて求めることはない。そんなものは期待していないが、自分の有り方として、ある程度しごとであってもいいていどである。僕も好きではないが『人に使われるのも、人を使うの』を嫌がるほど、人に絶望していない。だって、人の感謝を忘れてしまうもの。そして、何か社会に貢献をしていない。その種の方々でそれを強く負い目を感じている人もいる。

僕は、純粋の会社員を目指してはいないが、投資家を目指しているわけではない。どちらでもない有り方を目指す。