地震危機と共にある生活

僕は今日東京にいた3.11に黙祷をするために。
どうも名古屋にいると、この辺のリアル感がまったく伝わってこない。そこでこの街にいる。東京の人と話をしたが、その内容は予想を超えたものだった。衝撃的だったのが、去年の地震でここまで人の意識が変わってしまったという事実だった。


『来年どうなるかわからない、今できるなら今やろう。』
そんな感が詰まっていた。東京を去る人、何かを始める人。すくなくとも、5年後なんて悠長なことは、この街でもうだれも言う人はいない。
「東京で都市直下型の地震が発生する確立は70%だ!」
(そんな話ちっとも知らなかった、真偽は定かじゃないが起こらないほうが難しいじゃないか・・・)


 自暴自棄ではない。その目には、むしろ迷いなどなくまっすぐしてた。明日世界が変わっても、そんなとき悔いが残らないようにしたい。
この東京で暮らすということは、生活と共に地震の恐怖とよくわからない原発という恐怖がある。その事実うまくつき合っていくしかないのだ。そして危機と人の生に立ち向かっていいる姿に僕は一種の尊さを感じるのだった。



もちろん本来は日本の何処の生活にしてもそうあるべきでしょう・・・