未知の向こう側へ
大学時代、阪神電車に乗って通学していた
JRが好きではなかった。そこで阪神電車でいつも梅田まで通っていた
友達は阪急派であったが、私は阪神派だった。
沿線は生活感漂う工場の街、そしてそのいかにも、阪神沿線を代表する労働者の街が尼崎だった。尼崎から西に線路はYの字に分岐していた左は梅田へ。右は行き止まり(正確にはそうでないが、意識的にそのような扱いだ)右の線路の先はたくさんの煙突の立つ工場の合間に消えていた。
大きくY字から左にカーブして消えていく支線を眺めながら(向こうはどうなっているのだろう?)思っていた。
放棄された鉄道開発計画、忘れ去られた沿線
今日はそのY字側の右へ行きました。
何を言わんとしているかというと。つまり阪神難波線に乗りましたってことだ
そして、数十年間放棄されて、開発が止まったいた沿線いかにもいい感じだった。なんか雑多でアジア臭い感じですよ。歴史的に見ても貧しい人たちは河口付近に集中する。淀川の一番南側を渡る電車は大変風情があった。神戸市民にとって西成エリアが活動地域に入ったって事だ
それに乗換えで大阪市営地下鉄の横のラインが使いやすくなった。つまり中央・鶴見緑地・千日前の3っつでいわば
まずのらねぇ
って感じの地下鉄です。