罪深きカメラ

死の床で祖父からあんまりアドバイスらしいアドバイスはもらえなかった。いや、それが出来ない状況である事を祖父も実感していた。
「一晩中考えたが、おまえにはカメラはやれん」
そう祖父は私に言った。
たしかに祖父のカメラを継ぐには、私には荷が重いかった。私にもその意味がよく解った。決して、イジワルなことではない聡明な判断と見た。
じいちゃんのカメラでやはりじいちゃんの一部で、使い込んでもなじまない気がした。
それに祖父の強調し私に伝えたことだ。


「罪深きカメラ趣味」
人生のほとんどを祖父は、カメラとビデオに費やしたといっての過言ではなかった。聞いてみると
ミノルタ、キャノン、オリンパスニコンローライフレックスハッセルブラッドとおおくの経験がり、この筋のカメラ好き持つカメラをほぼ網羅していたと言ってもよかった。最後はニコンしか残ってなかったが、どうやら全てカメラは買い替えて使用していたようだ。そして、生活の大半をつぎ込んだと考えられる。
暗室作る(自作)
引き伸ばし機作る(自分で溶接)
薬剤の分量間違えて、色がぁ・・
フィルム発火(今のフィルムは燃えなくいいのう)
今はカートリッジとかあるけどなぁ・・昔はフィルムホルダーも無い
黒いでっかいフィルムシート買ってきて、自分で切って、35mmだよ


「そりゃぁ人の半分をカメラに食われた。」
(オマエにそんな業深きことができるか?)


私は適当なデジカメで適当に撮るのが好きな私がこれはちょっと無理だった。


しかし最後に祖父が手を当てて悲しくて顔したのだった。
(あと1年長く生きれば・・・教えられた。)
手を目に当てて、空を仰いだのだった。


人生とは残酷なものだ、祖父が元気な時は。まったくといっても言いぐらい私はカメラに興味がなかった。