中国行きのスロウ・ボート

最初の中国人に会ったのはいつのことだっただろう?
 この文章は、そのような、いわば過去に使ったデータ捜索からスタートする。さまざまな頭の奥底に眠る、数年間使っていなかったマイドキュメント内のわけのわけのわからないフォルダを一つ一つ当たりながら、とりあえずファイルを開いてみて、内容を確認し、妥当なファイル名をつける。そして新しい名前付きのフォルダを用意して、まとめられ、分析が行われる。
さて、最初に中国人に会ったのはいつのことだったか?
 それは、あんまり図書館に行ってスポーツ新聞を開くほど苦労する事でもなく、デスクトップ検索とgoogleに適当に聞いてみると簡単に出てくる。ファイルはその作成日を見ればおよそ推定が付く。便利になったものだ・・・


 中国人と認識できるはたくさんいる。それこそ、南京町に行けば、露天の人は中国人だし、王将の厨房も中国人だ。しかし、私の周りで自由に話し、生活に関わっているのはそんなに多くない。

一人目の話
 いままで普通に一緒に遊んでいた友達。普通で昨日のテレビの話しをするいたって普通の学生が財布の中から外国人登録カードを出した。衝撃だった・・・・彼は日本人で母国語である中国語すらしゃべれない、そして、一緒にセンター入試対策講座に出て、普通に私たちと大学受験している。なんら外国人というイメージがまったく湧かないのだ・・いや、当時の私の感覚では外国人である必然性、理由が私には感じられなかった。「でもさ、これ、常に持ち歩いていないと不都合なことになるんだよ」と言った。外国人とはまるで異なる人間で、片言の日本語を喋るか、肌の色とか目の色が違うという認識があった。『異邦人』というニュアンスがあったが、彼は法律上外国人ではあるが異邦人ではなかった。



別に我々と変わっているわけでもなく、はっきりとした特徴があるわけでもない。彼らは一人一人千差万別で、その点においては我々も彼らも全く同じである。

二人目の話


(書く途中)