Riche


その昔、出来た当初は犬の散歩がてらに遠巻きに観察していた。
「客入るんやろか・・・・・」
しかも、なぜか私が見かける日に限って、いつも休みだった。なんつーか近すぎるとかえって、警戒する。うっとうしい、小・中学生の同級生に会うと嫌だし。



 なんというか、須磨海岸は地元民ながら、なかなか行かない場所の一つだ。特に夜は治安がいいとは言えない。夏場は泳ぎもしない裸の連中がたくさんいる。夏の須磨海岸はもう地元民にとってどうでもよかった。海岸は冬に限る。静かで、穏やかで、厳しくて、優しい。殺風景な海こそなんかいい。ああ海っていいいなぁと思う。


そんな、ある散歩の途中に、カフェが出来ていた。私が学生時代の時にそれはすでにあったので、古い。
「ああわが町にも、ややセンスがあるオサレ系なお店が出来るようになったか」と感慨深く眺めていた。ここ1年での話だが、昔は栄町や居留地まで行かなくては無いものが「ああ!こんなローカルな場所にカフェが出来ている」という発見が多い。いろいろ自分なりに考えたが
空間を売るカフェというビジネスが普通に認められる傾向にあるのだろう。昔なら「お茶?そんなもん家で沸かして飲め。コーヒーごときに500円も払えるか!」という感じだった。いわいる自販機でミネラルウォーターやお茶をわざわざ買うことが考えられなかった時代という事です。


 それがいまや当時より不況にもかかわらず、このような傾向にある。現在のそれは、ステータスでもなんでもない。ただ昔より居場所が無くてみんないつも何かに疲れているからです。

さて、その郊外系のカフェですが、特にここ近年、実力が上がって気がします。



しかし、この手のゆるい系ビジネスは決して儲けようとしてするものではないのです。私の定義(自分感覚)では個人経営のカフェはNPO法人だと決めつけています。それゆえ、喜んで500円のコーヒーも払います。つぶれちゃったら大事な居場所がなくなっちゃうもんね。そんな私のような、何処へ行けばいいかわからない『こぼれた人』たちを迎えてくれる存在でいてほしいです。そして、何年かその店が存在できているって事は、それを求める人は住宅地でも結構いるってことです。


あ、肝心なカフェの事は・・・まいっか
近くだし