南京町はなぜ南京町って言うんだ?

涼しくなったのでので自転車で三宮まで行く、定期があるけどわざわざ自転車のペダルを漕ぐことにはとっても意味がある。「自転車はITだとかなんとか、それっぽいことをはてな近藤社長が言っていた。最近その意味がなんとなく解ってきたような気がする。私の場合、天気のよい日に、自転車のペダルを漕いだら、漕いだ分だけブレインストリーミングがまるで人力発電装置のように進むからだ。


今回も三宮まで行く途中に閃きが走った。


そうか・・・だから南京町なんだ・・・
とんでもないことに気づいてしまった。


横浜は中華街
長崎は新地中華街
神戸は南京町


なんか不思議だと思いません?いくら小さいからって他の二つ明らかに違うじゃないですか、なんで中華ってつけないのだろう?
いやまてよ・・・神戸の街にある中華は中華という主張が強くない。主張というより、さも当然のように、毎朝の味噌汁のように違和感が無い。

そんな時、職場のパートのおあばちゃんである林さんの言葉が頭に走った。
「ナンキン町はチュウゴクノリョウリ、ナイデスヨ」

は!?そういえば何で南京なんだ?北京でも上海でも四川でも西安でもいいじゃないか?僕が上海旅行で思ったのは、現在の南京なんてたいした観光もない単なる地方都市だということだ。歴史的に南京といえば・・・・


中華民国の首都だ!


そうか、そういうことか!この瞬間すべての頭脳に散らばっている、どうでもいい情報が結合しだした。
神戸の代表的な中華料理(中華食堂)は台湾に偏っている。そして孫文だ!神戸に孫文と名残が強いの、舞子にある六角堂を見れば明らかだ。(ちなみに僕は孫文が好きだ、中国のチェゲバラだと思う、元医師だし。ちなみに麻雀で九蓮宝燈で上がったため死んだとも言われる)そして華僑、神戸の華僑は横浜の華僑より多く、その歴史は古い。そう、彼らは中華は中華でも赤い中華ではない、国を失った白い中華・・即ち中国国民党の名残だ。孫文を支持した人たちがたくさん亡命してきててもおかしくない。孫文はインテリだったし・・インテリ連中にとって中国や台湾が住みにくい場合だってありえる。


 そして、白い華人が思い焦がれて意識の中に存在する首都、それが南京というわけだ。その思いを町に赤い連中に祖国を追い出され、神戸に流れ着いた時に彼らは名づけたのではないだろうか?。戦後の神戸は影の中国民党の拠点であったとしても、おかしくないと僕は思う。
(あくまでも私個人の推測ですが)


そういえば2007年世界華商会議神戸大会が開催されるっていっていたような・・・・



それが何って?言われればそうですが、神戸の街の奥には、他には無い地形特性が備わっている事を認識すること大事です。台湾、神戸、華僑とラインが繋がった時、何かそこに面白い事が起こりそうな気配がするからだ。
それに白い中華をなめてはいけない、ユダヤ人なみにだ。それに日本人は大恩が中国国民党ある。

中国国民党蒋介石

カイロ会談では、中華民国は日本に進駐する考えのないことを表し連合国側の占領政策を変えさせた結果、ソ連の北海道進駐を阻止する重大な起点になった。
カイロ会談秘話(日本占領の構図)とは、ソ連が北海道を、本州をイギリスとアメリカで、九州を中華民国が分割統治する計画(アメリカ合衆国外交関係文書に記載)。詳細は日本の分割統治計画に。

ウィキペディア 蒋介石項目より抜粋

これがどれほどの日本にとってどれほど重要なことか、少し考えればわかることだ。
華僑なくして神戸は語れないだろう、