まっとうな考え

「社会はおかしいと思う。」


親友は言った。
正しいこと、道徳・正義などさまざまあるだろうが
「最近においてそれらがねじまがっているのではないか?」
と親友は言った。
そして、彼は言った。「おかしいと思うかもしれないが」


「仕事を辞めて、農業をやりたいと考えている」



私はそれを聞いて彼に言った。それはおかしなことではなく「まっとうな考え」だと



親友はつい最近、父親になった。


子殺し・親殺しがめずらしいニュースではなく、少々の不正なんかは当たり前にやられているごく最近の現状を普通に考えて「おかしい」と感じるのは、まともな人間ならそう思って当然だと私は思う。そんなに長く生きてないが、一昔前である学生時代を過ごした80年90年代初めと比べても明らかにそう思う。


それが、今現在のリアルとして当たり前に進行しているのだから


おかしいと思う。そして、今後おかしい事が普通に続くなら未来は、
もっとおかしくなる。(差が大きくなる)


まっとうな考えだと思う。


それが自分の子が今後生きていく上で「いい事であるか?」


よくないだろう


たとえ、もっとおかしな世の中になったとしても、それに合わせて生まれてきた子供もおかしくなる必要性は?


無いだろう


組織にいると、社会的に間違った事でも認めざるを得ない場合はある。
そんな時、問題を解決する代表的な仕事(技術者や研究者)はやはり考えてしまう
「今、仕事をしていて考えさせられることがたくさん在る。」
と親友は言った。組織の中でこれからおかしな事をそれが社会として受け止め、続けていく事は果たして次の世代にとっていい事?


賛否はあるだろうがしかし
世の中は変っても、地球とか自然現象は変らないと思う。


未来も人は生きなければいけないのであれば
地球や自然が存在して当然である。


そこで、自然の摂理に対して、理に適っている「農業」は尊いことであるか?
それを今、次世代の為にやろうとしていることは尊いことか?


尊いことで恥じることもない
そしてそれが「正しくてまっとうな考え」と私は判断した。



それもそうだが、何より自分が彼の親友であったこと感謝した。
彼は「考えれる人」だったこと、それも今日明日でなくもっと先のことを考える人であったこと