”難攻不落の名古屋城” それがゲストハウス西アサヒである

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先日、懇意にしている名古屋の人気ゲストハウスである西アサヒの2周年に行ってきた。もう2周年か、いやまだ2周年か?人によっていろいろ感じることがある。

 

オープン当初と違う、2年経った今の西アサヒさんはどう変化したしたか?思った事を適当にまとめてみた。

 

今の西アサヒは堅牢な城のように体制が盤石で、まるで難攻不落の城に、最高の陣形で布陣しているようだと感じた。しかも指揮する殿様が、すごく優秀ときている。

えげつないぐらい”隙のないゲストハウス

それが今の西アサヒだった。

 

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人気ゲストハウスでも、経営の財務体質をみた場合、”吹けば倒れる”ぐらいギリギリのところで経営しているところ珍しくないと僕は推測する。収益を上げるのが難しいゲストハウスというビジネスモデルに関して、志が高いオーナーの根性でなんとか切り抜けているというのが実情ではないだろうか?

 

しかし、西アサヒは違う、

もう「ザクとは違うのだよ!ザクとは!!」(言いたかっただけです)

と往年のセリフを叫んでしまうほど、抜きんでている。そのポイントは天の時・地の利・人の輪の3点から説明しよう。

 

天の時

開設タイミングが早すぎず遅すぎなかった。(戦国武将的に言うと挙兵のタイミング)

かつて一昔前(て言っても5年前ぐらい)は名古屋にゲストハウス音速別荘しかなかった。音速別荘は名古屋という旅人不毛の土地を耕した、偉大なるゲストハウスだ。しかし、音速別荘は黎明期の月光荘の流れをとったゲストハウスで、素人が泊まるにはハードルが高かった。また、ゲストハウスもビジネスとして成立するかどうか怪しい時期だ。

そこに2,3番手で出来たのが西アサヒ、よりディープな旅人ではなく、普通の旅行者が泊まれる、新しいタイプのゲストハウスになり、注目が集まった。

また、あの汚ナシュランで有名な西アサヒが物件として、出現するタイミングもベストだった。そしてオープンと、インバウンドブームと重なる。

 

そして今は過密状態の名古屋のゲストハウス。今オープンするなら遅すぎる

 

地の利

西アサヒ最強の布陣といえるのが、この地の利である。名古屋の言葉の語源になった”那古野”の古い商店街に陣取った西アサヒは、いわばどのゲストハウスよりもいい場所と思う。

1.名古屋駅から徒歩圏内

2.名古屋城に近い

3.商店街が利用できる

簡単に言うとこんな感じだが、恐ろしいのは、今や西アサヒはゲストハウス部分だけが西アサヒとは言えなくなってきている点だ。

 

円頓寺に陣取った西アサヒ。円頓寺商店街は今や西アサヒを構成する重要な要素であり、西アサヒが本丸なら、円頓寺商店街は二の丸や外郭である。商店街のイベントに積極的に参加し、商店街の街づくりを真剣に参画してきた西アサヒは、2年で異例の商店街理事の立場に上り詰めた。

商店街の店と良好な関係は、強固な石垣のようで、少々何かがあってびくともしない経営の安定感に貢献している。商店街を全力でフォローしてきた西アサヒは逆もしかり、商店街も西アサヒを全力バックアップしている関係性が強い

 

そして、名古屋城の活用に関しても積極的に参加し、名古屋城のイベントにも出店し
名古屋城のイベントに西アサヒあり”の展開は、まさにあの名古屋城の外堀のようだ。

 

 

人の輪

西アサヒ最大の強さは、上記2点を軽く凌駕する人材の厚さに優秀さにある。

オーナーの田尾さんのハイスペックな比類なきキャリア、MBAの肩書だけでなく、真に優秀な経営辣腕。ハイスペックのキャリアながら人柄がよく話しかけやすい雰囲気

 

関わったスタッフ。元スタッフは150人、ボランティアはそれ以上、その周辺に大ナゴヤ大学や円頓寺商店街組合や名古屋市など、ナゴヤカブキの役者、アイドルだけでなく、設立にあたって、ポンと投資してくれる名古屋の資本家まで。

 

まさに難攻不落である。