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映画ファルージャ


映画ファルージャを今日は名古屋のシネマスコーレで観てきました。
ドキュメンタリー映画で見た目はイラクの今を描いたドキュメントだと勘違いしていました。大凡は間違ってなかったが、個人で支援活動をしてイラクに人質になってしまった3人のうち2人のその後を追ったドキュメントであった。
http://eiga.com/movie/79335/





”自己責任”
この言葉が世間を覆ったのはこの時代からであったなと今一度思い出させた。僕も震災ボランティアやできる限りやった覚えがあるので、個人でボランティア医療支援などをやる人の気持ちがわからないでもない。しかし、一般の人から見たら非常に奇妙に見えるだろう。どういった神経をしているのだろうか?ろくに仕事もせずに他人を助けようとするなんて・・・世間はそうみるだろう。しかもイラク国内で人質になって多大な迷惑をかけたとし、その後日本社会は彼彼女らに冷たい対応をする。

 自分の身勝手な意識のため、大事な税金を使ってみなさんに迷惑をかけたと言って怒る市民。または当事者に殴り掛かる市民。日本人的だと思う。まさしく村社会。確かにみんな税金だが、そんな時に使わない税金なら価値など無い。結局起こる人達は、この人達を攻撃することで、何かしらの僻みに似たどす黒い感情を晴らしているように思えた。

 当時、日本は『自衛隊を撤退させろという』先方の要求を一切のまず、3人を見殺しにする決断をする。それに同情したのはなんというかアラブのほうで、自国民の命すら守れない国がイラクで何をしようとするんだ?ということだった。結局彼らを助けたのは、彼ら自身の日々の活動と行いであった。

 非難の手紙が多く届いたのは事実だがそれ以上に支援や激励の手紙が多かった。しかし、マスコミは”避難”だけはピックアップして報道。マスコミこのやり口は当時も今も変わらない。仕事とはいえマスコミの良心は日本になはないのだろうか?切実に思った。

 アメリカがイラクにやった事の酷さというのはもっと事実が伝えられて然りなのだろうと思う。映像を観て思うのは、アメリカまたはアメリカ人の意思を形作る人々は、アラブ人(イスラム教徒)を心の底から憎んでいるのだろう。そうでなければこんな必要以上に罪のないイラク国民を虐げる事は考えづらい。日本が地震で大変だという規模とは次元が違う酷さである。当時、日本はアメリカ追随したことは今になって責めないが、その後日本が復興に力を注ぐ気もそれほど見えないのは何とも憤りを感じる。

最後に簡単にまとめると。

 まだまだ日本国民の大部分は、日本人は日本にいて日本で働いて死ねばいいと思っている。グローバルなんて所詮、言葉の響きだけである。外に出て活動するってことはリスクがさらに増えるってことだ。リスクもとらないで都合よく自宅でぬくぬくしながらグローバルなんて都合がよすぎる。常日頃ぼくが主張する海外を旅することは『リアルなドラクエであり、日本にいるってことはまだ、モンスターが出る街の外にすら出ていない!』と
いうことを理解していないし、されていない。


 普段、僕も『何故わざわざそんな国へ行くんだ?』と白い眼で見られる。それは確かに好奇心というのがあることは否定しない。しかし、それと同時に、心の中で世界を感じて自分の微力がバタフライ効果のようにちょっとづづ影響を与えて、ちょっと世界がいい方に転がる瞬間を探し続けている。それの瞬間を執念深く世界を彷徨いながら狙っていると弁解させてほしい。