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少ない同志

 いま中京圏で仕事しているが、何か周囲の人間と意見が合わない。なにか僕は社会不適合者で何か問題がある人間であることをまじまじと見せつけられる。思い悩むこともあった。しかし、東京や神戸にちょくちょく行って話していると、安心する。やっぱり僕の考えを説明して、双方共感できる。この辺りの人とは共感できない。



なぜ?この人はこう考えるのだろう?
なぜ?彼らと僕はこうも見えている事が異なっているのだろう?



その理由を考えた。そして今はっきり解った。


ベースにある危機感が全く違うのだ。


これは仕方ない。どんなに『危機感を持て!』と言われても持つことなんて絶対無理なのです。本当の災害を体験した人間じゃないとそれは理解できない。


 神戸人として上から目線で語っているわけじゃないが、『震災の時どうだった?』と気軽に聞いてくる人がいる。しかし、いくら僕が語っても絶対あれは伝わらないと思っていた。そこまで言うならと本当に語ってみた。
『家屋に下敷きになって生きながら燃やされる』
『それを見ているしかない』
『街に死体が転がっている』
そんな事を言うと・・・・引かれる。(聞いたのおまえだろ、中途半端に聞くからだ)


 あの感覚は、それを経験した神戸人どうししか共有できない。いや、本当に災害や理不尽な世界に身を置かないと伝わらないのだ。戦争経験者とぼくらとの溝みたいなものです。だから僕は適当にしているわけです。
 最近、関東圏の人と気が合うというか、意識の共有ができる。そして、解る。目が変わっている。震災以降関東圏の人々の意識がずいぶん変わった。同じ目線で会話ができる。人は死に近づいたり、理不尽な自然の力を体験すると変わる。人生観が変わる。ベースに持つべき危機感が共有が異なるため、人生観の方向性が全く異なるのだ。


これでは話は全く合わない。欲しい物も、必要とするも。欲する情報も全く違う。


 中京圏は本当に幸せな土地なんだなと理解できる。水害は経験はあるだろうが、本当に価値観が変わるぐらいのインパクトのある災害を経験していない。


 誤解しないで欲しいのが、どちらがいいか悪いかという事ではない。ただ、違うのだ。貴方と違うのだ。それを理解してほしい。しかし、その違いを理解できないのは残念ながら人の問題です。もちろんこれは傾向であって全てではない。個を見て全を語ることは愚の骨頂なのでしませんが、傾向が解れば対応策もある程度解ります。