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世界規模での認識『すしはうまい』ということ

ミャンマー旅行記

こんな奥地ににも寿司がある。
それは衝撃であった。
ミャンマーの山地。とくに都会というわけではない。湖のほとりに立つちょっとしゃれたレストランそこで見たのは山の中にある寿司屋だった。


寿司・・・本当に大丈夫か?さすがに食べなかったが、観察してみると、意外としっかりしている。中国人や韓国人が儲かるからっていう理由で適当に作っているエセ日本食を見ると、日本人としては、カチンとくる。人の国の文化を適当に真似てバカにしてると感じているのだ。

 しかし、ミャンマーで見た寿司はちゃんとしている様だった。誰が教えたのか、使っているのは日本の調味料を使っている。キッコーマンや日本酒を使っている。魚は?どうやら冷凍されているらしい。

 あと、メニューを注意深く読む。中国だとメニューの日本語を読むと、とんでもない誤植をみつける。とくに”ン”と”ソ”の区別が出来ていなかったり、”つ”と”っ”が区別できなかったりとあるわけだ。しかしメニューをみると日本語に間違は見当たらない。しっかりしている。力の入り具合は本気だ。

後にヤンゴンに戻っていると路上屋台の寿司を見つける。
40度の気温で路上で寿司!大丈夫か?

寿司は世界で人気だというの忍ばれた。

世界の寿司

寿司がなぜここまで世界でうけたのだろうか?
今や世界の高級料理と言えば和食であり、その代表は寿司である。
僕なりに考えてみた。

 魚を中心な料理でここまで完成されている料理は多に類がないということだ。しかも魚を食べる行為に宗教的タブーの影響が少ない。欧米人はが肉食中心だが、肉食がもたらす生活習慣病の怖さがよく知られるようになってしまった。肥満大国のアメリカを観てゾッとしたのだろう。
 もう一つは技術の発展だろう。寿司を食べれるというのは、新鮮で種類が豊富な海魚が食べれる日本だからこそできた料理。外国でそれを再現しようとしても、鮮度の維持に難易度がある。しかし、世界中から魚を買い付けるため日本は、魚の冷凍技術に心血を注言いだ。結果、鮮度(味を)を落とさず保存する技術が確立され、世界中に広まったのだと思う。


先日”わが盲想”の著者アブディン氏(スーダン人でイスラム教徒)が寿司にはまっていく描写があったが、日本人はズルい!魚がこんなに美味いとは知らなかった。と言い放っている。思うに寿司は国家、宗教、人種を関係なく高い評価が出ていることから、総合的なポテンシャル(真の実力)が高いのだと思う。
 日本人が発明したこの寿司と言う料理の可能性は広がるばかりだ。

わが盲想 (一般書)

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英国一家、日本を食べる (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

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