多文化性の時代

桜の季節の若いころの思い出だ。僕たちは花見をしていた。
桜の木の下に集まったのは多国籍な面々だったのを覚えている。ある者は『ブタはくわれへんし』とブーブー言って牛肉を買ってこさせた。とても幸せな時間だったのを覚えている。
 民族や国家、人種を超えて桜の木の下で一つになってバカ騒ぎした、何か僕的に何とも言えない新しい時代感を感じた。そして僕は酒のノリでツイスターゲームというちょっとエロエロなゲームを多国籍の美女達とするという、ウレシイ事があった。今思えば人生の幸せの絶頂だったと思うのだった。どんなにキャバクラにお金を使おうともそんな時間は二度と買えないだろう。
 今になっては『ああー過ぎ去りしバラ色の日々よ♪』と歌いたくもなるもんだ。



 次に”新しい時代”を感じたのは去年だった。今回はシリアスな話で東日本大震災の震災ボランティアとして陸前高田に行った時であった。僕は、理不尽な力で街が壊滅しているのを目にして、呆然と立ちすくんでしまった。そして、過去の忌まわしき阪神大震災がフラッシュバックしてフリーズしそうになったのだ。そんな時、背後から多数のボランティアが私を追い抜いていった。ひとりは『ダイジョウブ?』優しく声をかけてくれた。それはどこかアジアの国からきたとある留学生であった。振り向けば、ただならぬ数のボランティアが僕の後ろにいたのだ。
 バス数台が停車したところであり、バスからさまざまな多国籍のボランティアメンバーが降りてきた。そのメンバーの多国籍さ加減に一瞬事態を把握できなかったぐらいだ。裕福な先進国の面々もいればベトナムやフィリピンといった発展途上国の顔ぶれもあった。あの被災地最前線のボラティアの姿に僕は自然と涙が出た。その光景に”新しい時代”を感じたのだった。
 

旅人として直感的におもうところ

 僕は日本に暮らす外国人と、外国に暮らす日本人そのことについて、深く理解しようとしている。それは、僕自身の本能的な嗅覚によるものだった。それが、ほっとけない重要なことに感じてならないのだ。普段、世間の事に無関心と罵られる私ですが、それについてだけは、僕にとってこだわりがあるのだ。
 申し訳ないが原発反対とか放射能とかよりも、僕の中で”もっと興味を持って調べるべし”と言ってくるのだ。


なぜか?


 24歳の時から友人のカナダ人、多文化性について議論して僕は折に触れて考えていた。また、旅先であったいろんな国籍の仲間たちと、真面目に議論した時もあった。ある時は、韓国人とお隣の困った国をどうするか?だったり、またある時は中国人の大学生と話し合い、お互いの立場を超えて結束しなくてはという意見で一致して固く握手したこともあった。そんな貴重な体験が自分をつき動かしているのだろうと僕は思う。