神戸人から見た京都についての記述1

今日は目的もなく、京都にやってきた。神戸人たる私として、京都は多くを知らない事が多い。伝え聞くところによるとすごいらしい。
実際どうなのか?今回は神戸人からみた京都について感じた事を書いてみよう。

住民からみた京都の良さを探る


三宮からから阪急に乗って四条河原町へ。JRで京都なんて雰囲気がない。やっぱり京都へにいくなら阪急である。 さて、四条、三条あたりの鴨川周辺がいかにも京都っぽいが、これは本当の京都ではないと予測した。

”京都さんやめましょうや、その程度のトラップに引っかかりませんぜ”

京都の手口といえば、1700円ぐらいの高い京都風のランチを川床でたべさせて、観光客を適当にあしらうのだ。京都ほど観光客を適当にあしらうに長けている街はない。
つまり、観光客のためのもの、住んでいる人たちのものを分けているのだ。そして今回は”住んでいるひとのもの”を探し出す事を目的としている。なので、マヤカシの四条、祇園を抜けて僕は深部に切り込んでいった。


京都の住民が、毎日おばんざいとか、京料理とか食べているわけじゃないだろう?
街から感じる”街の声を僕は感じること”今回は重視した。

すり合わせがが上手い京都

 京都人が生み出すその京都スタイルこそ、京都の真骨頂である。京都中華、京都イタリアン、京風タイ料理なんてのも最近ある。まるでラジカセのような発想だが。和と結合して何かを創造するのがとても上手いのが京都人である。
また、逆にその強烈な和の京都スタイルを守らなければならない。そうでないとこの街では受け入れられない。ここが神戸と大きく異なる点である。街づくりに対しての情熱や本気具合は大阪、神戸を凌ぐものがある。当然なことですが、それが街全体、住民に対しても強い影響力を与えている。

 和のスタイルをベースに他の文化をうまくすり合わせる技術に長けている京都、何故かというと、ベースの和が強くしっかりしているからだと思う。神戸で和風イタリアンとかいっても妙にしらける。それをやるなら本物のイタリアンでリアル感の追求がされる。京都は、和を敷いてから新しい何かを据え付ける。しかし、土台がしっかりしているので、どんどん新しい何かを合成して、斬新なモノを造りだしているのだ。そんな、合成テクニックに感心する。



小さな庭、小さな川をうまく使う
あんなところに家の入口があって不便しないのだろうか?