どうでもいい思考

 あのオサレ系カフェっていうビジネスモデルはそこそこ確立されマニュアル化され、生産されているんだなぁとふと思った。まぁカフェっていったておしゃれかどうかを除けば、コーヒーを出して食事を提供する飲食業である基本は変らない。
何処にあったっていいじゃないか。寂れた港にあっても、代官山にあっても、同じ事だ。べつに許可が必要なわけじゃない。
ただ求めている何かとちょっと違う

 女子の方々には大いに喋る場所ってのが必要である。そりゃわざわざおめかしして、集まったのにマクドじゃあんまりだし、大将がやってそうな居酒屋でも様にならない。つーかデザイン的に合わないのは仕方ない事です。服に気合入れて、やっぱ店もオシャレじゃないとイケてないのは彼女ら自身が受け付けないでしょう。

そんな人たちに場所を提供するのもビジネスだし今まで無かったんだったら、それはビジネスチャンスだ。


 しかし、私が興味があるのは、cafeのコミュニティ性に関してであり、その場の力をどれだけ生かしているかによるアイデアだったりする。
隠れ家的という表現がよくあるけど、そんな名前が大きく出された時点で隠れ家でも何でもない。『ただ他とちょっと変っている何か』しかすぎない。多くは大量生産品に食傷気味の人たちが求めて消費するだけかもしれない。本当に隠れていたら、店なんて成立しない。


別に本当のcafeオーナーはそんな事を初めからマーケティングで狙っていたわけじゃないケースが往々に在る。
うるさい連中がいやだから、わざわざそうしているだけだったりするのに・・・