ポルチェリーノカフェ

『パリは燃えているか』が流れていた。(NHKスペシャルで流れているあれです)
 僕の頭の中はこの曲を聞くと、白黒の画面の中で人が死んでいく強烈な映像しか考えられなくなっていた。どうしようもない「やりきれなさ」が空間を包む。
死ぬ
人は死ぬ
そんな全てを失った空虚な空が悲しいぐらい美しく儚い


 本気で次の世代のために、自らを犠牲にした師匠、くだらねぇ・・そう思えた日々が走馬灯のように思い出した。

”正しいことなんてありはしないのよ”







「聞いてる!?」
あ・・ああ聞いてるよ
「でね、でねワタシどうしたらいいと思う?やっぱり・・かな?」
(・・・・・3%聞いていた・・かな??、何処で身に付いたのか適当に自動的に相槌を打つ技術だけはある)
世界は悲しいものだよ・・・(溢れた水がこぼれるように、口から漏れてしまった。)
個人主義を知るものは悲しい
旅人は悲しいものだ、物はいつか失うことをよく知っている。人間は本質的にひとりぼっちだということを知っている。永く旅を共にした者同士でも、行く先が2つにわかれればあっさりと別れる。たとえ未練がましく一人が不安だからといってついていったり、引き止めることは決してしない。それはお互いの尊い個人主義と自由を尊重しているからだ。彼もいつか自国に帰ることをあえて明言するのはその為だ。だからといって彼は他人に対して、くだらない配慮をしたりしない。いつも通りだ、いくら愛し合っても多分彼はこの国を去るだろうね。
「そんなの悲しすぎる、なんでそんな事を言うの?」
言っただろう、世界は悲しいんだって!美しくもない!その事実はまだ君には理解できないかもしれない。
いいかい!健康保険も無ければ、頼るべき家族も側にいない、おまけにロクな仕事が無い状態なんて、孤独で発狂寸前になるぜ。それを己の燃えるような欲望だけで正気を保っているんだ。・・・・略





そんなことをついとっても適当に言ってしまった夜でした。 
まぁその後メールに
「学校の友人では聞けない意見ありがとう(絵文字)・・・略・・・そんな意見がステキでたよ」



・・って俺何言ったんだよ・・・いつもながらその他ぜんぜん覚えていねぇ・・・・
右も左もわからん大学生にもっともらし事言ってたぶらかしたようで
次の日ちょっとした自己嫌悪になりました。



それも、これもあの洞窟みたいに暗い奥のカフェと『パリは燃えているか』のせいだ