2割のエリートも8割の生涯一兵卒も楽じゃない 共倒れこそ日本企業の

実は、取材の際に耳にしたこんな指摘が、頭から離れない。

  「日本企業は今まで経営者の育成を手がけてこなかったから、いかに30代で候補を選んで徹底的に鍛えたとしても、本当にうまくいくのかどうか分からない。しかも、早期選抜による2極化の弊害で、世界一だった現場の力をそいでしまう危険性もある。それでも悪平等からは脱せねばならない」

▼取材に立ち会った広報担当者のため息と感想

  この特集の取材では、立ち会ってくれた広報担当者がため息を漏らしたり、「もう笑い飛ばすしかないですね」と投げやりな感想を添えてくれたりしたのが、極めて印象的だった。

  あるメーカーの取材では、「世界のライバルと比べると、我が社の人件費は高すぎる」と強調する役員のインタビューを終えた後、広報の担当者が「こんなふうにして我々の給料は下げられるんですわ」とわざわざ「解説」してくれた。

  人事担当役員の公式コメントとしては、「下げるだけではモラールを維持できないから、しっかりメリハリをつける」と何度も説明していたにもかかわらずである。

  別のある会社では、人事部が作成した年次別賃金テーブルを目の当たりにして、ほぼ同年代の広報担当が「私の賃金ベースは平均より低いや。これはもう笑うしかないですね」と感想を聞かせてくれた。

▼選ばれた幹部候補の隔絶感

  「赤信号、みなで渡れば怖くない」とはうまい言い方をしたものだ。会社を超えて、業種を超えて我々バブル世代の「多数派」を占めるのは、明らかに8割の一兵卒組である。

  決していいことだとは思わないものの、今の日本人の大半は、仲間とつるんでいればそれだけで安心する人種なのだから、みなが一斉にカネがなくなるのなら、それはそれで楽しみようがあるだろう。

  仕事さえあれば、薄型テレビや高級車など買えなくても生活には全く困らない、というのが、働く側の本音に違いない。

  むしろ、若いうちに仲間から切り離されて英才教育を受ける幹部候補のやりがいは、簡単には見いだせないように映る。ごく一握りのエリートと目された途端、同年配の社員とも一定の距離ができて、本音の情報は入らなくなるだろう。

  そのうえ、企業側はエリートたるにふさわしい処遇を与えるための賃金制度改正を急いでいるものの、日本の税制を考える限り、同じ会社の中で目もくらむような大差がつくことは考えにくい。早い話、中学校の同級生の中で、一番いい生活をしているのは、結局のところ親が東京都内に土地を持っている連中、という現実は、そう簡単には揺るがないはずだ。

▼「与える喜び」が消えた経営者受難の時代

  よほど権力志向の強い輩ならともかく、従来ならまっとうな経営者のやりがいは「与える喜び」にあったのではなかろうか。顧客や取引先に良い商品やサービスを提供し、株主にも配当を還元したうえで、従業員には安定した生活を保障する。

  経営者に限らず、ボランティア活動でもアマチュアスポーツの指導者でも、分け与えることで何がしかの感謝を受けている実感こそ、カネだけでは動かない人間を動かす最大の原動力となるからだ。

  その点、与えるどころか「奪う」ことに専念せざるを得ない現代の経営者は受難の時代に生きている。

  総人件費の抑制という大命題が立ちはだかっている以上、8割から奪って2割に回す「分配論」のみならず、賃金を国際水準に近づける絶対額の調整も避けて通れないだろう。

  8割から憎まれて、2割からも感謝されないのが、これから経営の一線に立つ幹部の宿命なのかもしれない。

  別に嫌みでも何でもなく、素直な意味でこれからは「憎まれっ子、世にはばかる」。それでも経営の舵取りをする覚悟のある人間が2割もいるのかどうか。

▼船員も船長もいなければ船はちゃんと進まない

  船員さんが乗っていない船は簡単に動かないし、船長さんのいない船は方向が決まらない。日本企業が「2対8」の新しい役割分担を軌道に乗せて、人材育成を含めた新日本的経営を確立するまでの軌跡を、地道に追いかけてみたいと思っている。

  お茶にだって二番煎じがあるのだから、15年で終わったはずの記者寿命をもう一度、煎じ直してぎりぎりまで延命措置を施しながら。